台北の山の店

1991年11月、2ヶ月近い東南アジア旅行を終えて初めて台北に降り立った。もう寒い時期になっていたので、台北駅近くに山の店を見つけて専門メーカーの高級上着を買った。当時は同じ商品が海外の方が安く買えると言われていたから。探検部の先輩からの言いつけで、遭難しても発見されやすいように派手な色を選んだ。写真は気に入って身につけていた写真。(探検部のルームにて。1992年1月。)

今回の台北訪問で、たまたま泊まったホテルの向かいに古びた山の店があった。33年前に上着を買った店かはわからない。もう街はすっかり変わってしまったから。。。でも、そうかもしれないと思い、いちおう写真に収めておいた。

迪化街にて

【花蓮→台北】

列車で台北駅に到着し、駅近のビジネスホテルにチェックインした。そこから徒歩で少し行ったところに古くからの街並みを保存した迪化街がある。商店街の奥に行くほど品物の値段は安い。一番奥の露天のジュース屋さんでオレンジにレモンを入れたジュースが50台湾元。その辺りでお土産も買おうと、ドライフルーツの袋を3つ頼んで合計960元のところ60元値切ってみるがおばさんに邪険に断られる。商売根性キツいなあ。。。

若き日の想い出の教会招待所

天祥で宿泊予約をしたのは教会招待所だった。道路事情により泊まらなかったが、どんな宿かと覗いてみた。建物を見てハタと思い出した。その宿は33年前の21歳の時に宿泊したところだった。あの時はやはり山の上からヒッチハイクのトラックに乗ってやって来て、運転手のおじさんから勧められて降りたのが天祥だった。当時はこの宿くらいしか安く泊まれるところはなかったんじゃないかな。。。この宿で同宿した若い人とバイクのニケツで出かけ、渓谷に湧き出た真っ暗闇の天然温泉に浸かったっけ。あんな想い出が作れる場所にまた戻ってほしい。。。

サルの町と化した天祥

タロコ渓谷の上流の入口である天祥に、山から下って到着したら驚いた。2年前に訪れた際には観光客でごった返していたこの場所が、閑散としてサルの群れに占拠されていたからだ。あんなにお客が入っていたセブンイレブンも地震以来閉まったままだ。関原の派出所で聞いたところでは、地震後に訪れたドイツ人の団体のうち数名が行方不明になったままだという。。。早くかつての賑わいが戻ってくるといいが、、、

えぐられた山肌

標高約2400mの関原から太魯閣渓谷を通って海辺の花蓮の町まで。山肌の白い部分は今春の地震の爪痕だという。道路も何カ所かで寸断され、時間帯により通行止めになっていた。太魯閣渓谷も復旧工事の真っ最中で観光地としての復興はまだ先のことのようだ。

思わぬ出会いからの友情

標高約2400mの山奥の派出所で知己の警察官の友人達と再会した。

一昨年、泊まった山荘から出発してバス停まで歩く途中でこの派出所に通りかかり、珍しい外国人だからか警官達と懇意になった。朝から付近にある松の木の葉を漬けた酒で酒盛りとなり、酩酊した状態で制服を着てパトカーでバス停まで送ってくれたっけ。

今回の旅の主目的は彼らに再会することだった。今年の0403花蓮大地震で被災した山間部について、草の根の支援や交流へ向けた話合いをした。金銭の多寡ではなくこちらの誠意と人力で何かお役に立てればと、、、

郷愁の路


台湾山間部を貫く台14甲線は好きな路で、33年前の初訪問以来越えるのは3度目です。1度目はバスの便のない砂利道を30km歩きかけ途中でトラックが拾ってくれた。2度目の一昨年はバスのない区間が10kmに縮まりスーツケースを引っ張って歩いた。今回は前回友人となった地元の警官にパトカーで送迎してもらった。人の手の入る所はすっかり変わっても山容は変わりない。海抜ほぼ0m近い西の台中から一気に上がり明日は東の花蓮に下ります。合歓群峰最高峰北合歓山3422mに登りかけたけど、息切れと目まいで途中敗退。高山病になりかけたのか、年のせいなのか、、、