突然の初対面

福岡空港から対馬への航空便が欠航で翌日の船便となり、博多で丸一日あいてしまった。ふと思い立ち諫早にいるハイラル出身のモンゴルの友人を訪ねることにした。といっても初対面。。。でも、突然の連絡にもかかわらず歓待してくれた。諫早で落ち合って車で長崎市内に向かい、出島の傍らのとても美味しい羊肉料理の店でご馳走してくれた。それから、海の見える丘の牧場に案内してくれた。友人は今そこでホースセラピーに関わる仕事をしているという。ナチンさん、今日は本当にありがとうございました!

やっぱり旅のハプニングって楽しいものですね。悪天候のおかげです。

往復4時間とそれなりのお金はかかったけど、得難い絆ができました。ただし、帰路に長崎駅から乗ろうとした「かもめ号」は悪天候のために運休になった。西九州新幹線開業前に最後の乗車と思ったのだが、、、

最後の大糸線

廃止になるかもしれない大糸線に往復乗車した。

行きの日中は鉄道ファンの団体列車だったが、帰りの最終は僕一人の貸切列車。

1981年の初乗りのときは、京浜東北色の旧型国電と確かキハ52系気動車を乗り継いだっけ。連れて行ってくれた父親と信濃大町でカレーライスを食べ糸魚川で赤ちょうちんに入り寝台特急北陸号で帰京した。

今はもう車輌も運用も変わって、あんな重厚なのではなくて軽快で味気ないのが走っています。

終着駅の糸魚川では、居酒屋でひとり新潟の地酒謙信を楽しんだ。

ファミリーヒストリー探訪

加賀藩唯一の勤王派の志士と云われるひいひいじいさんの事績を訪ねて金沢と富山を旅した。

明治維新の一番大事な時期に座敷牢につながれていたし、維新後に新政府に入ったものの偉そうにする薩長の人達に嫌気がさしてさっさと金沢に帰ったし、あまりパッとしない人物ではあります。

今回は生まれたとされる高岡に行ってみた。郊外の吉久という集落に当時加賀藩最大の米蔵があったという。おそらく下級武士のご先祖は米の管理のために金沢から赴任していたのだろう。それから、吉久の川向こうは伏木だが、そこの北前船の廻船問屋にひいひいじいさんの弟が養子に出され、その子供がのちの小説家堀田善衛だという。

江戸の昌平坂学問所にいた若い時分に高杉晋作や切腹した広島藩某とつるんで三羽烏と呼ばれ江戸の街を闊歩して飲み歩いたという逸話や、座敷牢につながれていた時分には奥さんであるひいひいばあさんが心配して毎日食事を差し入れたという逸話を聞いて、血の通った親しみをちょっと感じた。

大鰐温泉のオオワニ

青森県の大鰐温泉に来ています。宿のおばさんが気に入って、同じ民宿に3度も泊まっています。

最初はまだ幼かった息子と二人で。宿の大きなお風呂を見て、「これ潜っていいお風呂?」とおばさんに息子が聞いたら、「津軽の殿様が眼の治療をしたから大丈夫よ」と教えてくれたのが思い出されます。2度目はサハリン出張に東京から鈍行列車ばかり乗り継いで行った際にわざわざ立ち寄りました。

おばさんはもう86歳とのことですが、これからも何度も訪ねたいと思います。

ちなみに、大鰐温泉の名物はもやしらしいです。

復興の被災地

4月14日から17日にかけてJR東日本の企画切符で北東北を旅しました。その時の思い出です。

震災の被災地へボランティアに出かけてからちょうど10年たって、そろそろお訪ねしてもいいかなと思い三陸を再訪しています。

土地のかさ上げや防潮堤の整備で風景は一変していました。でも、復興はこれからも続くのでしょう。

三陸鉄道に乗車するのは、思えば1984年の開業の年以来じつに38年ぶりです。ほぼ乗客は僕一人で貸切列車状態だったので堪能しました。

ふとしたことから厳寒の地へ

関西に出かけたけど、ふとしたことから厳寒の旭川へ飛ぶことになった。やっぱり冬はこうでなくっちゃという気温。懐かしい稚内までもうあと一歩のところです。ここに比べたら信州の冬はマイルドだな。当地で暖かいおもてなしを受けました。

保津川下りで冷えた体をおでんで温める

各地で大雪の降った日に年の瀬の京都へ出かけました。行きの新幹線は90分も遅れました。こんな日によりによってトロッコ列車で亀岡に行き保津川下り。冷えた体を川端通りの赤垣屋のおでんで温めました。このお店は、大学時代に探検部の仲間と行った懐かしいところです。