牛が人より多い黒島へ

境界地域ネットワークの皆さんと別れ、午前8時発の高速船で黒島へ向かう。所要は30分くらい。船着場には2人のレンタサイクルの客引きがいた。上手いことその1人に引っ掛かっってしまい、おそらく港から一番遠くの店にライトバンで連れて行かれる。同じ旅行者が5組ほどいた。もっと港に近い店はあったのに。電動アシストで4時間2000円だった。

黒島研究所は充実した博物館だった。NPO法人日本ウミガメ協議会附属という。ビジターセンターを経て、仲本海岸は産後が連なる海岸だった。そこで低血糖となって小休止。そこから島の中央の集落に向かうが食堂は定休日だったので、昼メシはたま商店でインスタント焼きそばを買いお湯をもらって軒先で食す。伊古桟橋は海にどこまでも続く道のようで素敵だった。最後に訪れたのは、ウミガメが散乱に訪れるという西の浜。それら二ヶ所で写真撮影の練習をする。

慌ただしく13:10発の船で島を離れ、那覇の東急REIホテルまで乗り継ぎ移動。あんな島には余裕を持ってのんびり滞在するべきだな。夜に入ったホテル向かいの居酒屋は、旅行支援クーポンか使え良心的な価格でサービスがよかった。

伊古桟橋
西の浜
たま商店
黒島研究所

思い出めぐり〜波照間島

日帰りで波照間島を訪ねて原付で思い出の場所場所を巡った。9年前は小学生だった息子とサイクリングをしたっけ。泊まった民宿勝連荘、食事をした味〇(みまる)、アイスを食べた南共同売店など、、、

予約もせずふらりと訪れた春休みで賑わう波照間島。港でぽつんと置いてけぼりをくっていたら、勝連荘のご主人が車で拾って宿に届けてくれた。混雑していたので入ってすぐの仏間だった。その隣の味○はちょうど開店した日で、夜には地元の人達の宴会が開かれていた。子供を寝かしつけたあと僕も飛び入り参加して、本土復帰翌年の1973年に沖縄初訪問ですと言ったら大いに喜ばれた。けれど夜中に子供が起きて泣いてしまい、ちょうど同宿の学校の先生達があやしてくれていたっけ。。。

あの頃は南の島なんて毎年来られると思っていたけれど、結局数えるほどだけだったな。息子とのかけがえのない思い出となっています。

那覇での不運なできごと

国境地域研究センターの集まりが石垣島で開催されるので、沖縄に向かいました。今回私だけはさらに足を伸ばして台湾まで行くことにしたので、本当のボーダーツーリズムですね。3年ぶりの海外です。全部で11月17日から29日までの日程です。

前夜に深酒をしてしまいほとんど眠らないまま昼の仕事に出かけました。仕事を早めに切り上げ、緑園都市駅を14:37の列車で発って羽田空港に15:27に到着しました。京成線で脱線事故があったそうですが京急線のダイヤは順調でした。そして、16:20発の那覇行き飛行機の機上の人となりました。

那覇での不運な出来事というのは以下のことです。まず、那覇の友人から羽田にて連絡があり、体調不良でその日の飲みの約束をキャンセルするという連絡が来たこと。ついで、乗った飛行機が搭乗ゲート使用中のために着陸したのに10分も待機させられたことです。さらに空港に降り立ってPCR検査をしようとしたら予約で一杯だし、モノレールは出発したばかりで10分も待たされるし、旅行割クーポンを使おうと入ったステーキ屋はもう閉店で居酒屋は満席、ファミマでクーポンは使えないし、ホテルでハサミを借りようとしたらフロントでしか使わせないって。しかも、着いてからずっとしとしと雨が降っている。南の島に出かけてこんなについてないことだらけなのは珍しいです。。。

比田勝にて比田勝さんと

対馬の国境の町に来ています。町と同じ苗字の地元の方から、虎魚や穴子を肴にやまねこという麦焼酎を傾けながら、いろいろお話をうかがいました。稚内と同じところ違うところ多々あって非常に興味深かったです。

泊まった宿にあった220vCタイプのコンセント。こういうのは稚内では見かけなかったな。。。

突然の初対面

福岡空港から対馬への航空便が欠航で翌日の船便となり、博多で丸一日あいてしまった。ふと思い立ち諫早にいるハイラル出身のモンゴルの友人を訪ねることにした。といっても初対面。。。でも、突然の連絡にもかかわらず歓待してくれた。諫早で落ち合って車で長崎市内に向かい、出島の傍らのとても美味しい羊肉料理の店でご馳走してくれた。それから、海の見える丘の牧場に案内してくれた。友人は今そこでホースセラピーに関わる仕事をしているという。ナチンさん、今日は本当にありがとうございました!

やっぱり旅のハプニングって楽しいものですね。悪天候のおかげです。

往復4時間とそれなりのお金はかかったけど、得難い絆ができました。ただし、帰路に長崎駅から乗ろうとした「かもめ号」は悪天候のために運休になった。西九州新幹線開業前に最後の乗車と思ったのだが、、、