集集線再訪

【2022年11月24日:沖縄・台湾旅行⑧】台南→二水→水里

集集線はお気に入りです。物資を集積するため集集と名付けられた町が中間にあり、海辺から山に分け入る路線です。

91年にはディーゼル機関車が客車を引き、99年にはディーゼルカーに変わり、今回再訪したらすっかり観光路線に変貌していました。

車内で凄まじいおばちゃん達と遭遇。鉄道ファンかと思ったら、ガンから回復した患者の旅行団と知り、元気になられて良かったなと思いました。それで結局、そのおばちゃん達としばらく行動を共にすることになりました!

新店區 阿蘭姊薑母鴨

【2022年11月21日:香港・台湾旅行⑤】台北にて

台湾に到着して早速台北近郊新店の飲食街にある人気店で飲み食いしました。ここは鴨で有名で火鍋も手前の皿も鴨肉です。一緒にいるのは旧知のモンゴル族の先生です。早々に海外旅の感覚が蘇ってきました!

海外旅行のリハビリ

【2022年11月21日:沖縄・台湾旅行⑤】那覇→福岡→台北

二十数年ぶりに台湾へ行くことになりました。中国大陸に暮らしていた事情もあって足が遠のいていたのです。最後に行った頃はまだ携帯電話を所持していなかったな。ずいぶん変わったことだろう。

そもそも実に3年ぶりの海外です。忘れていることがたくさんある。パスポートすら家に置いて来そうになったし、いろいろリハビリしなきゃ。。。

写真の説明はありません。

山だけは変わらない

【九州旅行⑧:指宿開聞岳】

鹿児島まで来たら、39年前に父と登頂した開聞岳が懐かしくなって薩摩半島まで足を伸ばした。

あの時は真冬で南国とはいえ山頂にはかなり雪があったけど、今日は梅雨明けの炎天下でとても登山の気分じゃないな。平地を歩いているだけで熱中症になりそう。。。

JR日本最南端の西大山駅にも立ち寄ってみた。駅前に観光客向けの大きな店ができていて驚いた。

利尻富士や稚内駅は見慣れたけど、薩摩富士や西大山駅は四昔前以来で感慨深い。でも、山だけは変わりませんね。。。

東西で明暗を分けた

【九州旅行⑦:水俣】

少雨期にしか姿を現さない旧曾木発電所の建物。産業遺構であり今ではヘリテージングの対象だ。鹿児島県のかなり山奥にある。曾木の滝で取水して下流のこの場所で発電する。1909年だから113年前の完成。当時は相当の難工事だっただろう。余剰電力は約50km離れた水俣に送電した。今日はこれから県境の峠を越えて水俣へ。

突然の初対面

福岡空港から対馬への航空便が欠航で翌日の船便となり、博多で丸一日あいてしまった。ふと思い立ち諫早にいるハイラル出身のモンゴルの友人を訪ねることにした。といっても初対面。。。でも、突然の連絡にもかかわらず歓待してくれた。諫早で落ち合って車で長崎市内に向かい、出島の傍らのとても美味しい羊肉料理の店でご馳走してくれた。それから、海の見える丘の牧場に案内してくれた。友人は今そこでホースセラピーに関わる仕事をしているという。ナチンさん、今日は本当にありがとうございました!

やっぱり旅のハプニングって楽しいものですね。悪天候のおかげです。

往復4時間とそれなりのお金はかかったけど、得難い絆ができました。ただし、帰路に長崎駅から乗ろうとした「かもめ号」は悪天候のために運休になった。西九州新幹線開業前に最後の乗車と思ったのだが、、、

最後の大糸線

廃止になるかもしれない大糸線に往復乗車した。

行きの日中は鉄道ファンの団体列車だったが、帰りの最終は僕一人の貸切列車。

1981年の初乗りのときは、京浜東北色の旧型国電と確かキハ52系気動車を乗り継いだっけ。連れて行ってくれた父親と信濃大町でカレーライスを食べ糸魚川で赤ちょうちんに入り寝台特急北陸号で帰京した。

今はもう車輌も運用も変わって、あんな重厚なのではなくて軽快で味気ないのが走っています。

終着駅の糸魚川では、居酒屋でひとり新潟の地酒謙信を楽しんだ。

ファミリーヒストリー探訪

加賀藩唯一の勤王派の志士と云われるひいひいじいさんの事績を訪ねて金沢と富山を旅した。

明治維新の一番大事な時期に座敷牢につながれていたし、維新後に新政府に入ったものの偉そうにする薩長の人達に嫌気がさしてさっさと金沢に帰ったし、あまりパッとしない人物ではあります。

今回は生まれたとされる高岡に行ってみた。郊外の吉久という集落に当時加賀藩最大の米蔵があったという。おそらく下級武士のご先祖は米の管理のために金沢から赴任していたのだろう。それから、吉久の川向こうは伏木だが、そこの北前船の廻船問屋にひいひいじいさんの弟が養子に出され、その子供がのちの小説家堀田善衛だという。

江戸の昌平坂学問所にいた若い時分に高杉晋作や切腹した広島藩某とつるんで三羽烏と呼ばれ江戸の街を闊歩して飲み歩いたという逸話や、座敷牢につながれていた時分には奥さんであるひいひいばあさんが心配して毎日食事を差し入れたという逸話を聞いて、血の通った親しみをちょっと感じた。