奥津軽にて、古の人々に思いをはせました。ここは縄文期の土坑墓群がある場所です。同じ空を見ていたのかな、、、


逃げろや逃げろどこまでも… 日記です
奥津軽にて、古の人々に思いをはせました。ここは縄文期の土坑墓群がある場所です。同じ空を見ていたのかな、、、
十三湖畔にて。しじみ亭奈良屋という食堂兼土産物屋はしじみづくしだった。名物しじみラーメンを食す。偶然にも自由が丘のバーの店員さんは同名で同地出身で、後に聞いたところ、この店で初アルバイトをしたという。
小説「津軽」の像記念館にて。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」(昭和19年)
龍飛岬へ向かう途中に青函トンネルの入口を見た。龍飛岬の後には青函トンネル記念館に立ち寄り、海底トンネルを見学した。掘削の苦労と貫通の栄光の歴史を垣間見ることができた。
龍飛岬から少し南下して、西海岸へ向かう峠道の途中にあった展望台。かなたに北海道が望める。
五所川原でレンタカーを借り一日かけて津軽半島を回ることに。はからずも往路は津軽の鉄道めぐりとなった。最初は津軽鉄道金木駅、次は同津軽中里駅。どちらも2017年3月以来の再訪である。そして、峠を越えて東海岸に至りJRの奥津軽いまべつ駅。同駅は新幹線停車数も乗降客数も全国一少ないことで知られている。さらに、竜飛岬にも近い休止中の津軽線三厩駅にも立ち寄った。新旧交代の図を目にすることになった。
下北半島から今日は一気に津軽に移動する。途中、奥羽本線川部駅で五能線に乗り換えるが、かなりの待ち時間があった。そこで駅近で小休止することに。
だが、駅前にはほぼ何もない。ちょっと歩いたところにたまたま開いていた居酒屋ねぷたに行ってみた。津軽の地酒とつまみを食していると、隣に家族連れがやってきたが津軽弁が何もわからない。旦那さんは同年代だろう。店にはねぷたの絵柄がいろいろ飾られている。そして、女将さん一家は大の相撲好きだった。息子さんは大の里と友達だというし、お孫さんは相撲をやっていて大会のために一家で東京に行ったりするという。女将さんの話がおもしろい店だった。
大間といえばマグロだから、マグロマグロと念じつつ大間に向かった。だが、地元の名店浜寿司の席に付いたら、何を血迷ったのかとっさに海鮮丼と言ってしまった。なぜマグロ丼を頼まなかったのか!魔が差したとしか言いようがない。後悔しても仕切れない。思わぬことってあるものですね。。。大将も訝しげな様子だったような、、、
大間に向かう途中で立ち寄った大畑。かつては下北と大畑を結ぶ大畑線の終着駅大畑があった。1984年12月の年の瀬に父と二人でその路線に乗車するために訪れたっけ。1985年に大畑線は国鉄から下北交通に移管され、それも2001年に廃止された。
いま駅舎はバスターミナルとして活用されており、鉄道の設備もいろいろと保存されている。
奥野研温泉にある夫婦かっぱの湯に入った。かなり秘湯っぽい。ここではシャンプーや石けんを使ってはいけない。家族でやっているようで、小さな女の子が番台あたりをうろちょろしていて可愛らしかった。