「人間失格」を読んで感じたこと

この文章は高校生だった17歳の時のもの。現国の若い女性の先生が手書きガリ版刷りのプリントでクラスのみんなに配った。何人かの感想文が載っている中、自分のだけは名前が無かった。先生が「よかったら名乗り出て読んでください」と言われたが、自分は勇気がなく名乗り出られなかった。古い書類の中から出てきたので、当時名乗り出られなかったかわりにここに掲載します。

 実は、自分も葉蔵と同じく、今まで「道化」を演じて
きた一人です。というのも、非常に内向的で気が弱く消極
的な自分は、人との交際が全く下手で、集団の中での存
在感も薄いのです。それで自分は、他人が妙に恐ろしく
て、自分の意見を述べることができず、常に他人が自分に
対して嫌悪感を持たないように気を使い、「道化」を演
じて人との衝突を避けてきました。また他人から目立
ちたいと思った時にも「道化」を演じ、それによって自分の
存在を他人に印象づけてきました。そして、そうするう
ちに防御手段として「道化」がすっかり板に付き、自分
の本来の陰鬱な性格を隠すようになりました。
しかし最近、自分は自我に目覚めたのか、このままで
はいけないと思うようになりました。そして、積極的
に自分の望む活動をし、また他人から本当の自分を認め
てもらいたいと思いましました。それで自分は、今までの生活
から抜け出そうとしたのですが、以前からの性格を克服
しきれず、身動きができない状態になりました。
 そんな折、自分はこの本を読んだのです。そして、
葉蔵に自分と同じ性格の持ち主がいたのだというあ
る種の同族意識を持つと共に、内心非常に安心した
気持ちになりました。また反面、自分も将来葉蔵
と同じ道を歩むのではないかという不安にも恐(ママ)われま
した。確かに葉蔵は人間恐怖からは救われたでしょう
が、人間としての生活は失いました。自分は葉蔵の
ように生きるのが正しいのか、他の人間のように他人を欺
いてまで生きるのが正しいのか分かりません。そしてこ
れは、人間存在における永遠の問題だと思います。
でも自分は生きていくための手がかりも得ました。そ
れは、葉蔵が主観によってひどく陰惨な絵を描いた
ことです。だから自分もこれから、お化けの絵を描く
つもりで自己の本心を表現し、それによって自己の
存在の意義を見い出していきたいと思います。

今と全然違うなあ。今は「人と仲良くするのが仕事」と嘯いてフィールドワークをしたり教壇に立ったり、飲み歩いたりしてるから。。。人は変われば変わるもの。子どもの頃は親の影響がいかに大きいことか。。。今だったら、自分だけが「人間合格」で周囲の人間全員が「人間失格」だと太宰は言いたいのだという感想文を書くだろう。