30年ぶりの邂逅

最近、胸がじんとくることがありました。

古いアルバムを眺めていたら、1枚きりの女性の写真に目が止まった。

1992年にヨーロッパを訪ねた折、ローマのバチカンでふと知り合って一週間ばかり一緒にイタリアとスイスを旅行した同い年の韓国人の女の子です。とある駅のホームで涙ながらにお別れしたっきり。。。

あの時の微細についてあれこれ懐かしがっていたら、知人がネットで検索してくれるという。名前しか覚えていなかったが、すぐに写真が出てきて確かに当時の面影がある顔だ。メッセージを送ったら間もなく返事が届いてやっぱりその人だった。それで今はSNSの友達になっています。

東西ドイツの統一を受けて朝鮮半島の統一も間もなくでしょうって、結局まだそうはなっていないけど、そんな時代の高揚感は確かにあったっけ。。。

その後の人生における幾多の出会いと別れに比して、あの一週間は極めて印象に残る思い出です。

ネットで人探しもできるなんて今は本当に便利な世の中ですね!そんな簡単なことにも今まで思い至らなかった自分が情けない。。。

でも、こんなにあっけない再会が果たして幸せと言えるのかな??

写真は、もうどこかは忘れてしまったが、確かにあの時彼女と二人で見た風景です!

冒険のユーラシア 1992

若い頃からユーラシアに惹かれ旅の足跡を残してきました。しかし、ここ数年は渡航がきわめて難しくなり、2019年秋に仕事で出かけたサハリンが最後です。最近では生きているうちにもう二度と行くことはないかなと思い始めています。というか、行きたい気持ちがなくなりました。

写真は1992年初秋のモスクワ。この年に一夏かけて初めてユーラシア大陸を横断しました。偽造ビザで入国したので官憲に追われることもあったけど、総じてのんびりしたとても楽しい旅でした。大阪から上海に船で渡り中国大陸を経て独立直後の旧ソ連諸国を巡りようやくモスクワに到着したところです。荷物を奪われ着る物もなくなり身につけているのは中国人民解放軍の軍服と軍靴です。カモフラージュの意味もありました。

国境はできても検問はなく、お金は各国とも暴落したルーブル払い。鉄道とバスとヒッチハイクだけで移動して、交通費の総額は当時のレートで5千円にも満たなかったはずです。

無法地帯みたいで大変な状況ではあったけど、世界はこれから少しずつ良い方向に進んでいくんだという時代の雰囲気があったように思います。あの頃に戻れたらなあ。。。

自分はもう年を重ねたから致し方ないけど、今の若い人達が可哀想です。

カメラもフィルムも盗まれたので、あの旅の貴重な写真はほとんどありません。

やっぱり大事な想い出は心に刻んでおくにかぎりますよね。。。

子供好き

海のことがやりたいと、息子が海辺の町に転居するので送りに来ています。

モンゴル大草原のただ中に遊牧騎馬民族の血も引いて生を受けたのに、まさか海の男になりたいなんて、、、何しろ1歳から乗馬の訓練を始めたので将来はてっきり競馬選手かと思ってた。

明日で息子も成人。18年間にわたる子育ても今日で晴れて卒業です。父子家庭だけに、これまで濃密な思い出をくれて本当にありがとう!

明日から僕も第二の人生をひとりで歩み始めます。

もう一度ゼロからの子育てに挑戦してみようかな。。。本当に子供が好きです!